志和の聞き取り調査(9/30)
四万十町志和町諏訪神社では、9月末(陰暦8月18日)の神社祭において「おんや踊り」という舞楽が行われるという情報をネット上で見かけた(http://shimantotanne.blog.fc2.com/blog-entry-167.html)。志和物語(諏訪将人著)によると、黒田郡は現在の興津—野見にかけて広がっていたが、白鳳の大地震で一瞬にして海に沈んだとの伝承が残っている。志和海岸の4km沖合には大暗礁(志和礁=しわし)があり、かつての黒田郡の山嶺である。志和に現存する諏訪神社は、白鳳地震ののち、黒田郡に鎮座した諏訪大明神の神体が漂着したのを祀ったのが始まりであると言われている。
志和おんや踊りについては、「此のおんや踊りはその年代は不明であるが、長野勘吾の先祖がいつの時代にか他国に漂流して数年其処に滞在中に、其地の祭礼に奉納の踊歌を習って帰郷後、同士者が募って教授して、土地の諏訪神社の祭礼に奉納したものであるらしい」との記述がある。昔は、志和礁の上で踊ったそうである。しかし、諏訪氏が調査したところでは踊りが志和に伝承した歴史は古くても江戸時代だろうとの結論に達している。
志和港についても「志和物語」に記されており、それによると「藩政時代は仁井田の米をはじめとした物資を高知に運ぶ中継漁港として栄え、船舶の保有数は46席にもおよび、高知西部でもっとも多かった。同時の志和港は天然の良港であり、現在の漁師街や商店街の大部分は水面下であり、小学校の東側近くまで海水が寄せていたと思われる。志和礁は、志和海岸から沖合4キロのところにある大暗礁でありかつては中土佐のカツオの中心漁場であった。この暗礁には6つの神社を合祀した、志和礁神社が鎮座する。」との記述がある。
これらの情報から、黒田郡の候補地として志和礁を無視する訳にはいかず本日(2015年9月30日)聞き取り調査を実施した。
諏訪神社の管理を行っている宮総代の方にコンタクトを取り情報を提供して頂いた。その結果、下記のことがわかった。
- おんや踊りについては、現在はもう行われておらず、最後に行われたのは35年程度前のことである。また、別に「棒うち」という全国的にも珍しい型の踊りがあり、こちらにもおんや踊りと同じような掛け声が使われている。
- 小学校から石斧が出てきたことがあり、昔から人が住んでいたことがわかっている。
- 志和礁は現在も漁場になっていて、漁師はその辺に船を出して釣りをしている。山頂は水深が14m程度。
- 諏訪神社は1517年に焼失し再建されたもの。前回の南海地震の時には、津波は2,3m程度だったためほとんど被害を受けなかった。
海図を見ると確かに4km沖に高まりがある。10月中旬の調査で海底地形調査を行なうのが楽しみだ。